サトシのブログ

青年海外協力隊としてルワンダで活動しています。初めてのアフリカこれといった特技や経験もないままに来てしまった。それでもここの人たちと生活して自分に求めらることを精一杯やって役に立つこと、それとルワンダのワンダフルな部分を見つけられるように頑張ってるサトシのブログ

伝えられるかどうか

相手が自分の言いたい事をわかってくれるのはとても大事なこと。

わかってはいるけど、自分の場合はうまくいっていないように感じる事がある。

 

なんでかなって思って立ち止まってみると、「これが原因かな!?」って思うことが見つかる。

1. 自分で伝えたいことをきちんと理解できていない。

2. 要点を伝えずに話の内容がボヤけている。これは1と関連して重要度を把握出来ていないからだと思う。

3. 自分だけがわかる言葉(略語とか)抽象的な言葉を使っている。

4. 自分のペースで話すだけで相手が疲れている。

5. 自分に自信を持って話せていない。

 

他にも色々あるだろうけど、自分が思うのはこの5つ。

ちゃんと伝わらないから、理解の齟齬が生じてコトが思うように進まない。それでイライラしたり、相手を悪くいったり・・・・。そういうことをしても何も変わらないから余計に悪循環に陥ってしまう。

 

どうしたものかな。

一気に丸っと解決出来なくても1回ごとに1つ意識してみることをすれば、変わるような気もするので、今日から気にしてみようと思う。

 

それでなくても、現地語が不自由してるから意思疎通が難しい部分が多いのに英語で伝える、日本人に日本語で伝えることで苦労してたら「ここで何してるんだ!?」ってなるから今からでも、その状況は改善しよう。

 

 

基礎学力ってホンマに大事

今週末で1タームが終わるからか、近くの子供達がいつもより楽しそうに見える。それによくちょっかいをかけてくる。

 

こっちの学校も日本と同じで学期末テストがあるようだ。

他の国の同期隊員で学校で活動をしている人はこの時期、テストを作成して印刷して、子供達の書いた筆記体とにらめっこする大変な時期らしい。数も日本の何倍にもなるらしい。すごい量になりそう。それをしっかりしている同期、すごいな!かっこいい。

 

話の方向が見えなくなりそうだが・・・

自分の衛生啓発の活動で学校に行った時や道端で子供達にあって話をしてても、基礎学力がある子は、受け答えがしっかりしているし、的を射た鋭い質問をしてくることがある。

そういう子は、自分の拙い答えでもすでに持っている知識や経験を組み合わせてその子なりの解を導いているように思う時がある。

 

自分自身がきちんと身につけるべき基礎学力を持たずして、ここまで来てしまったと感じているので子供達の前で少し偉そうに話したりするのが恥ずかしかったり辛かったりする。

 

だからどうか、ここの子供達には基礎学力だけは身につけて欲しいと思う。

それがあれば、すでにあるバイタリティーと組み合わせてきっとこの国の発展に貢献すると思う。ノートやペンや他の教材が日本に比べて劣っているように見える部分が多いけど、それでも楽しそうに学校に行く様子をみていると自分もあの頃に戻ってちゃんと勉強したいなーって気持ちになる

 

 

もうすでに回り道、寄り道してしまっているから、この際思い切ってネガティヴに感じてる自分の学力のなさに正面から向き合ってちゃんと勉強やり直そうと思う。その成果としていい大学に行くことはないかもしれないけど、ちゃんとして自分で考えられる1人の人間にはなれるような気がする。

 

 

 

 

かわいそうなのか?

ここで生活していて、たまに日本にいる友達とメッセージのやり取りをする。

それが嬉しく懐かしくなったりして、自分も頑張ろうってエネルギーになる。

 

でもたまに、こっちの食生活や生活の一端を話すと、「それは大変だね!!なんだかかわいそうに思えてきた」って言われる。

それ自体に悪気は全然ないし、自分もここに来るまではアフリカでの生活は過酷でかわいそうって思っていたから、「そうだよねー。そうなるよな」って愛想笑いとかして場を誤魔化してる。

 

でも、本当にかわいそうなの?

 

100%そんなことはない!!とは言い切れないけど、単純に想像してるよりは”かわいそうなことなんかない”って思う。

 

そりゃ、日本にいた時のようにコンビニ行ったり、ファストフードに行ったり、流行の服を買えたり、時間通りにバスが来たりはしないからその辺は不便かもしれない。

大体の村の人の生活だって、電気がない人もいるし、蛇口がないからジェリ缶(灯油缶のようなもの)で公共水栓まで水を汲み・買いに行かないこともあるし、ガスじゃなくて炭で料理するし、洗濯は手洗い、穴の開いた服を着ているし・・・とか、パッと大変だなって思う部分はすぐに見つかる。

 

それでもね、困ってる人がいたら助けるし、道やバスとかで知り合いにあったら「おはよう、元気?」って挨拶するし、一緒に奉仕作業や畑仕事を楽しそうにしている。

子供( 幼児)の面倒は、その子供のお母さんだけじゃなくて、ご近所さん、お父さん、兄弟姉妹、祖父母、地域みんなで世話しているように思う。後はよく笑う、よく食べる、よく喋る。

 

こんな様子を見てると、彼らの生活の方が心のエネルギーが満ちているのかもしれないと思う。ギスギスした感じがしない。

プライバシーって考えがないのか!って驚くくらいパーソナルスペースにグイグイ入って来る感じがするのは自分が”外国人”だからかな!?

 

日本のいいところ・便利なところはそりゃ沢山あるし、だからと言って、こっちの人がかわいそうな生活してるって言っちゃうのは違う。

言葉ではうまく伝えにく、人の優しさやその人の余裕ってのはこっちの人の方が持っている気がする。

日本で無くしてしまった部分をここで育てて持って帰って、経験と合わせて伝えたいと感じている。

 

 

関わるってこと

昨日書いたことの続きみたいなことで、

こっちに来て、面倒臭いなった思っていた人との関わりが大切なんだって思うことある。

 

もちろん、こっちの人とメッセージアプリを使ってやり取りすることもあるけど、多くは面と面を合わせての肉声の会話。

これが日本にいた時にはこの肉声の会話が減ってたから、自分のバランス失ってたのかもしれない。仕事とか、最低限の人間関係の為に会話しててもそれは機械的だと思うから。

誰かに見て欲しい、構って欲しいとか、そう思ってる自分がいるけど、ネットの世界でどれだけ呟いても、ちょっとオシャレに写真を撮ってみても、そう簡単に人を寄せるくらいのインパクトを自分は持ち合わせていない。それなのに、「どうして、誰もみてくれないのか、社会が悪いのか」とか悲劇のヒーロー演じてる自分がいてた。

 

こっちで面つき合わせて話すと誤魔化しが効かないし、まして少ない語彙で誤魔化せるはずもない。だから、悲しい嫌な気持ちになったりするけど、それ以上に相手の表情が見えるからコミュケーションを取るのが面白い。冗談言って笑いあってたら、嫌な事が薄れてく感じがする。それに、忖度なんかしなくていいから。したところでこの人たちには通用しなさそう。

 

便利になって、どこの誰とでも気軽に連絡を取れるようになったからこそ、目の前にいる相手とちゃんと意思疎通ができるって事が大切なんだろうってようやくわかった。

同じ日本人に対して、こうやって思った事が実践できるか!?って言われるとまだ困っちゃう自分を少しずつ変えられるといいなって思う

 

 

ちょっと思ったこと

雨季になったので突然の大雨に遭うことがよくある。

バイクや自転車タクシーで移動できない自分は、そういう時はどこかで雨宿りするしかない。

配属先の事務所で同僚に渡す活動レポートみたいなのを作っている時は、作業出来るから雨が降ろうが関係ないからいいのだけど、屋外にいる時はそうもいかない。

 

とりあえず、雨宿りに・・・と立ち寄ったところは自分だけじゃなくて、そこの住民もいる訳で、「ムラホー」って挨拶だけして雨が止むのをじっと待ってる自分とは違い、彼らはめちゃめちゃお喋りする。友達なのか!?って思うくらいに話す。終いには多分自分も会話に参加させられてるんだろうなーって感じでみてくるし、実際、話させられる。内容は分からないけど何と無くの雰囲気と、知ってる数語の単語とジェスチャーと日本語のノリで押し切るのだけど。

 

日本にいた時は、そもそも雨宿りで何処かに立寄ってそこに居合わせた人とお喋りをしていたんかな?イヤホンで音楽聴いたり、スマホで時間潰して、そこにいる人のことなんか無視して気がする。

 

そうやって、伝わらないかもしれないけれど興味を持ってそこにいる人と接することで、自分自身楽しくなるし、日本人の自分は目立つので別の場所で会った時にも話しかけてもらえることがある。

 

自分は自分に自信がないから、人と関わることをしたいけど、得意じゃないって決めつけて自分の安全地帯に居座ってるんだけど、スマホばかりみてないで、人と話してみたりすることっていいなって思う。

 

すぐにイライラしないで、こっちの人のように他人に興味を持って好意を示せるように自分を少しずつ変えていこうって、雨が上がって綺麗な青空をみて思った。

 

 

本を持って出かけよう!

大学生をしていた頃の夏休みは出版社の夏の文庫本フェアでオススメされてる本を買って、近くの河原で読んでたなー。

 

真面目な学生ではなかった(今となれば後悔)ので18切符使ってふら〜っとちょっと遠くまで本を片手に旅行したっけな。

最初は本、読み進めるんだけど次第に景色観たりして最後には乗り換えに疲れて寝てしまう。終わってみれば、「あれ!?思ったほど読めてないなー」なんてこともよくあった。

 

それでもまた、別の機会にその本に出会うと

その本との思い出を懐かしく思ったりしてる。単に、物語だけじゃなくて僕との思い出も合わさって1つのお話だなーって。

 

さて、今自分がいるルワンダもそろそろ乾季が終わって雨季に入ろうとしてる気がする。雨雲が広がってるような気がするし、肌寒いように感じたりすることが多くなった。

 

基本的に移動を含め屋外にいることが多いので雨が降るとどうしようもない。

上がるのを待つ。

そんな時に、現地の人とおしゃべりを楽しむのはもちろんだけど、本(できれば紙媒体)の本を読もうと思う。

日本に帰った時に、同じ本に出会えた時に「ルワンダで読んだあの本か〜!」ってなったら面白いな、なんて思ってる。

 

さて、何を読もうかな?

 

 

 

いい意味で時間が解決してくれているのかもしれない。

「焦っても出来ないときがある。そういうときは時間が解決してくれる。そしたら、思いがけず上手くいったりするもんや」誰かがそんな風に言ってくれたっけ?

なんてことを思い出した朝の一コマ。

 

いつも通りに朝ごはんを食べて、活動先に出向いたんだけど誰もいない。

いつもミーティングしてる場所にいっても誰もいない。

「あれー?なんでや?みんな居ないって不思議やな。。。」って思いながら10分くらい待っても一向に誰も来ない。

 

仕方がないから、セキュリティの人に

「今日はなんでみんな来てないの」って聞いたら、

「なんだ、お前知らないのか!?今日は大統領の調印式(?)があってホリデーだってアナウンスされたんだ!!」

「うそーん、そんなん、知らんし。聞いてへんわ!」っていってみたけど、今日がホリデーであることに変わりないし、突然もらえたホリデーをたのしまなきゃって思い直して、

 

「掃除しよー!洗濯しよー!アボカド買いに行こー!」ってざっくり今したいこと決めて、セキュリティにバイバイ。

 

 

ここに来てすぐなら、

 

「もう、同僚なんで教えてくれへんかったんや!知るわけないやん!!ありえへんわ(怒)」とかブツブツ文句言ってただろうけど、びっくりするようなことがたまに起きる生活の中に居たら、そんな風に考えてもしゃーないし、どうせなら、楽しくやりたいよねって思うようになってる。

 

自分のテンションが下がってるときはまだ難しいけれど、ブーブー文句ばっかり言ってた嫌な自分をここで生活する中で、時間を過ごしていく中で少しずつ変わってる(解決してる)ように思えた1コマでした。

 

まずはしたかった3つのこと終わったので、次を考えますかな!?